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アトミック・デビュー

「核兵器を持たず、


 作らず、


 持ち込ませず」


 


 


マダムmikaです。


 


 


今回は30代最後の夏なので、


今日、この日に


原爆との出会いを記しておきたいと思います。


 


当事者をご存知の方や


ご当地(広島・長崎)にお住まいの方、


また、核兵器や政治のあり方などに


特別の思いや見識をお持ちの方々には


なまっちょろくてどこか他人事のように


駄文を連ねているように思われるかも知れませんが、


それぞれの方々を差別したり


揶揄したり


また、特別な解釈をするつもりは毛頭ございません。


 


ただ一人の一般主婦が


これまで抱えてきた個人としての想い。


命に平和に人間に想ってきたこと、


それとともに育ってきた自分の節目。


そう捉えていただけたら幸いです。


 


その点をご了承の上、つづきからお進みください。


 


 

初めて私が、原爆の記憶に触れたのは


小学校4年生、もうじき10歳になる秋のことでした。


 


お彼岸に父方の祖父の家に行ったときのことです。


祖父は中年期より職業柄、肺を患い


自宅で暮す日々でした。


それでも生まれ持った向学心から


祖父の家にはいつもたくさんの


立派な百科事典や


写真集・資料集などが並んでいました。


 


私がどうしてその本を手に取ったのか。


今でも理由はわかりません。


おそらく、の文字にインパクトを受けたのでしょう。


爆弾の熟語は当時の私にも分かる漢字。


その爆の頭に「原」????


そんな引っ掛かりがきっかけだったかも知れません。


 


私は何のためらいもなく


一冊の分厚い書籍を手に取りました。


子ども心にも、


祖父の書物に悪書はないと感じていたのも確かです。


 


ところが。


 


 


 


開いた瞬間、


私は凍りつきました。


当時の素直な気持ちを書くならば、


 


「見てはいけないものを見てしまった」


 


 


何故?


とか


何が?


とかよりも


コレは何???


流行の心霊写真じゃあるまいし。。。。。。


コレは、ヒト??


作り物じゃないのだろうか。。。。


 


当時の語学力を駆使して


私は文章部分を一生懸命読みました。


そして


そこで初めて知ったのです。


この国に、


かつて2度


原子爆弾という


尋常ならざる殺戮兵器が投下されたのだということを。


 


 


戦争とは


こういうものだったのか。


 


本当の戦争に触れた初めての出会いでした。


 


母の記憶(戦争体験談)からは


防空壕に逃げ込む際に


下駄の鼻緒が切れ


砂利道をはだしで逃げた時の


足の裏の痛みと恐怖とか、


防空壕からのぞき見えた橋の欄干を


戦闘機の自動小銃がわざわざ狙って打つと


石煙がパパパッ!


と飛ぶのが見えたとか


軍港だった塩釜が空襲にあったときは


東の空が真っ赤に


まるで夕焼けのようだった、


とか。


そういう話も聞いてはいました。


 


そうした身近な人間の体験談と


手にした写真から飛び出してくる


声なき悲鳴は


消えることのない


悲しみと苦しみは


にわかには繋がりませんでしたが、


ずっとずっと


とても怖くて


とても大事なものとして


私の胸のうちにしまわれたのでした。


 


中学校・高校と


人並みの青春時代。


そこで私は


私たちは


冷戦時代の真っ只中を生きていました。


いつか終わらせることができるのか


それとも


いつか本当に終わってしまうのか分からない


世界の明日。


その中を受験戦争という


違う戦争の中を生きていた私たち。


高校の修学旅行で


広島の原爆ドームを訪ねたクラスもあったのですが


私のクラスは岡山どまり。


倉敷の白壁に雅やかな風を感じて、


京都や大阪に足を伸ばした旅行でした。


 


そんな高校を卒業後、


文字通り戦線離脱(浪人中)をしていた私は


再びヒロシマ・ナガサキと出会うことになりました。


 


書店の部長さんを友人に持つ父が


全20巻近い原・水爆にまつわる児童書を


買いました。


たまたま軽く引きこもって(苦笑)いた私は


それらを毎日のように読み漁ったのです。


架空の物語もありましたが


ノンフィクションで語られたものも多く、


戦後の


第五福竜丸の被爆(水爆実験)についても


そのとき初めて知ったのでした。


 


戦争の真実(戦争とは何かということ)を


改めて再認識し、


その後もおびただしい核の汚染と被爆が


この地球上にもたらされていること、


そしてなにより、


核の均衡という言葉面だけいい


泥沼の威嚇合戦が


いまだに続いていることへの


情けない気持ちでいっぱいになりました。


 


 


 


でも。


 


 


その半年後。


私は世界の祭典によって


まさに身も心も救われることとなりました。


 


1988年2月


カルガリーオリンピック。


ドロップアウト寸前の私に


誰が出会わせたのか


カルガリーの地で


己の肉体一つで果敢に闘う選手たちに


私は背中を押してもらったのです。


勿論、2年の間


私のそばで私を見捨てずにいてくれた


両親があってこそなのですけど。


 


また一つ、違う世界に触れる機会が


私に与えられました。


 


そしてついに。


大学在籍中の1989年11月、


ベルリンの壁が崩壊。


世界は大きく変わりました。


マルクス主義は崩壊し、


東ヨーロッパに激動の歳月が訪れ


やがてその大波は、砕けながらも世界中に飛散


日本のバブルも(所詮はバブル)泡同然に消え、


終身雇用は崩壊。


これはあらゆる意味で


とてつもない時代の変化でした。


そして現在に続いているのです。


 


歴史はパーツにパーツをつなげてできるものではなく


常に時間とともに


この地球上に折り重ねられているものです。


そのひだのうちにどんな時代を描くのかは


そのひだに生きる私たち一人一人の


生き様です。


 


また、


過去に現在に


不本意にも命を落としてしまう人と


生き残った私たち。


明日、死んでしまうかも知れなくても、


今は生きています。


生き延びているのです。


生き延びた私たちはどう生きましょう?


 


私は戦争に反対です。


その視点は(あくまでも個人的なものですが)


敗戦したから


でもなければ


唯一の被爆国だから


でもありません。


それは3発用意された原爆のうち


1発が私の故郷に落とされるはずだった。。。


なのにそれが落ちることはなかったからです。


ヒロシマ・ナガサキに落とされなかったとしても


きっと遅かれ早かれ


あの時代のどこかの都市に


原爆は落とされていたに違いありません。


 


私は、日本が戦争をした国だからこそ


反戦と、平和を主張して良いと考えています。


その権利と義務を有していると考えています。


戦争の実態を知る国が、


人々が


勇気をもって


浮ついた利益をもたらす


戦争を起こす安易さよりも


退屈でも恒久利益により近い


平和を選ぶ困難を


声を大にして訴えていいのではないかと


そう考えています。


 


21世紀に入り、


世界はまた新たなうねりとともに


動いています。


ごく身近な環境も


殺伐とした様相を呈しています。


知らぬふりをしたくなる事件も多い日々。


他人の不幸を糧にする輩の横行。


自分も守れず、


己の子どもをモノ扱いにする親という名の


大きな子ども。


何かのせいにしても仕方がないけれど。。。。


 


戦争中、


軍艦に乗って南方の海を見た祖父。


帰国後、戦争のトラウマ引きずった夫(祖父)を捨て、


父を連れて実家へ戻った祖母。


離婚後、祖母は小1の父を残し他界。


その後父は再婚した祖父のもとに


引き取られるものの


実子なのに戸籍上は養子。


継母とは心から歩み寄れなかった父。


 


そんな我が子に祖父は


「戦争がなけりゃあ・・・・・」


とつぶやきました。


「もう、いいんだ」


と父は答えたそうです。


それが祖父と父の最後の会話でした。


 


戦争の傷跡はそう簡単に癒えやしないんですね。


ましてや


自分の家族を目の前で失った人たちは


自分の肉体に


その爪あとと共存してこなくてはならなかった人々は。


私は幸いにも


戦争の実体験はありません。


それでも可能なかぎり


子どもに伝え残したいと思います。


自分に体験がなくても、


より確かな記憶を伝えるすべは


まだ残されているはず。


 


来年は息子も小学4年生。


私が原爆に出会った年齢です。


彼が来年、原爆に出会うかどうかは分かりません。


でも10歳を過ぎたら。。。。。


様子を見つつ


戦争を考えあう機会を設けたいと思います。


 


 


 


長文、お付き合いいただきまして


ありがとうございました。


 


今回はホント、特別です。


 


 


それでは良い夏の思い出を作れますように!!


 

コメント

たとえ夢物語と言われてもね、たまさん☆

大人が希望をのぞかせてあげられないと、子どもはどう生きていったらいいか、ずっと不安だけ背負っていきそうに思います。
現実的に私やたまさんの見解は、甘いのかも知れません(ごめんなさい、一緒にしちゃって)。

でも、誰かのせいにしたりする前に一人一人なんですよね。
それこそ選挙の投票だってそう。
日々の世の中の渡り方だってそう。
ついつい、赤信号、みんなで渡れば怖くない。
的発想が横行しますけど、アレだっていけないことはイケナイ。しょうがないじゃん、とか、みんなやってるしやらなきゃ損するし。。。。とか?

バカじゃね?
って思うことがたまに(自重)あります。

頑なさもしなやかさも信念があってこその生き方ですよね。
ただ流されて挙句に他人のせいにして生きる大人を見て、子どもは明日を生きる気になるでしょうか。

政治的なこととかは、個人的方針でこの場では言及しないです。ごめんなさい。(宗教・商売も深く触れないことにしてます^^;)派閥に弱いし(爆)

過去から学ばなくてはならないことは山ほどあります。
過去から学んだことで、ネット社会だってもっと安全な出発をできたはずなんですけど、私たちはどうしても自分の体験から得たものが優先されますので、危機感がなかったことは否めないでしょうね。

いろんなシーンで明日に残すべきことや見直すべきことはいっぱいあります。
それぞれの場所で、少しでも明るい未来を次世代に残せるようにせめて前を向いていきましょう!

コメント、ありがとうございました。



mikaさんもかなり戦争のこと勉強されたんですね。
誰がいけないとか責任問題よりも
戦争をしてしまったら被害者を助ける
もう戦争を起こしてはならない
これら大事なことを知って、伝える必要ありますね。

時代も人間が生きている舞台でありますから
生き物同様です。
私たちはその中の細胞の一つ一つなんでしょう。
世の中は悪い方に進んでしまい元に戻りつつも
「歴史は繰りかえされる」というように
今また悪い方向に向かってしまっています。

今の偶像である安部首相は本当に使えませんが
彼はギリギリA級戦犯になりそうだった
昭和の怪物・岸信介の孫になります。
憲法改案、首相は軍事国家に戻そうとしています。
例えバカで使えない首相でも思想が危険すぎます。

我々は過去も今も、そしてこれからの先も見て
政治に対して真剣に見向き会う必要はありますね。
それが親として、今生きる人間にとって
次の世代に生きる人間にしてあげられることですから。

長文失礼しました。
Secret

いらっしゃいませ

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マダムmika

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